昭和52年11月18日 月例祭



 信心が段々分からして頂いて、どう言う所が信心の焦点でなからなければならないかというと、お参りをせずにはおられないと言う所まで行かなければならない。お礼参りをせずにはおられない。「これだけのことが分かった。これだけのおかげを頂いた」と言うだけで済んだんでは、本当の信心が分かったと言う事にはならない。愈々家にはじっとしておられないと言う信心です。
 北野の婦人総代であります中村さんが、以前若い時分によくお話ししておられましたように、親鸞上人様のお話を頂き、親鸞上人様に帰依をした信者が、もう来る日も来る日も、親鸞上人様のお話を聞きにくる。それで「そんなにお話を頂きにこんでも、家で私が言うたことを行じて行けばそれで良いのだ」と言うふうに申されました。所がその三代吉と言うお爺さんですけれども。親鸞上人様のお話を頂いておると、どこにおっても弥陀如来様の懐の中にあるんだと。
 それは苦しい事であろうが、楽しい事であろうがそこはやっぱり、まあ金光教的に言うならば、親神様の懐なんだと言う意味のことをお答え申した。だからそれ程までの事が分かったら、それを仏教的に言うと「落ちる木乃実も十八願の内と思えば危なげはなし」と言うふうにお答えしたと言う事ですけれども、「それ程しの事が分かったのならば、もういよいよお参りして来る事はいらんぞ」と言われた。
 その時に三代吉さんが答えて曰く「それでもこのようにして毎日人が助かることの為に一生懸命精進して下さる上人様のことを思うたら、家にじっとしておられません」と言うた。信心はそこまで頂かなければいけないと思う。分かることも分かった。おかげも段々頂けれる道も覚えた。お道の信心はもう真一筋なんだ。を日常生活の上に表して行けばそれで良いのですけれども、上人様のことを思うたら、家にじっとしてはおられないと言う。そこに、いわゆる限りないおかげの世界があると思うんです。
 今日日奈久の富永先生が、お礼に出て見えました。十五日があちらの御大祭だったんです。本当にお天気の上にもお繰り合わせを頂いて、お祭りが済んで、もう皆が帰り着いただろうかという頃から、ザーっとお湿りがあちらあったそうです。もう御広前はそれこそ小さい御広前ですけれども、本当に割れるような、お供えで割れるようなお祭りだった。「合楽の記念祭を頂いて、もう一段とその勢いが、異常なまでに感じられました。」と言っておられます。
 とにかく超特級酒が五十本、ビールが二十本、もうそれだけであちらの御神前は一杯になってしまう。もう御神酒はあちらは特に超特級ばっかりが集まるんですね。もう一つ有難いことは、その朝親教会からいつも親先生が見えて、祭主をして下さるのに、ある都合で来られなくなった。それで富永先生が祭主を仕えられて、初めて御大祭の祝詞を上げられた。もう信者が皆感動してしまってですね。丁度私が三井教会と私との間に、所謂親先生がお出でられる時、それから私が祭主を仕えさせて頂くようになった。
 あの時分の事と同じ様な事で無かったろかと思う。そしてまあ異常なまでの感動の中に、お祭りが滞りなく済んだ。もう本当に合楽の記念祭をバスで団体参拝を皆して見えました。もう信者が一同あの記念祭を境に、奮いたって参りました。「第一お祭りの内容が変わった」とこう言うのです。今日は箱崎教会の奥様が参って見えました。所謂ここに修行生の佐田先生のお母さんなんです。初めの間一番初めにお参りになった時には、あちらは博多の関係ですから、博多の教会が親教会なんです。
 だから「修行はどこででもしようと思えば出来ると思いますけれども、もうこの人が、合楽じゃなければいかんと聞きませんもんだから、大変お世話になることでございます」と言うのが一番初めの挨拶でした。修行をしようと思えばどこででもできる。けれども、息子が、さっちいけんというから、兄弟連れで合楽合楽と言うてお参りを致します。弟の方の先生は今、御本部で勤めておりますが、先日から、あちらの御大祭に帰ってきて、こちらにも二晩泊まって帰りました。
 本部の方へ帰りました。そういうふうに思うておられたお母さんが、これはやはり合楽でなからなければ、おかげが受けられんと言う事が、段々分かってきた。合楽でなからなければ、本当のことが分からない。それから、お母さんが今度はしげしげとお参りになるようになった。教会のいわゆる、御信者の方は勿論、御親戚の方まで、お導きして参られるようになられた。「今度の御大祭に、先生二三日帰っておりましたが、本当にまあ妙な雰囲気が生まれとりました。
 皆お祭を仕えに来なさる博多関係の先生、祭員の先生方は妙なふうげな。帰らっしゃった後はもう、信者がもう打って一丸になって、素晴らしい雰囲気の御直会を頂いて、おかげを頂いとります」とこう言う。まあ言うなら、博多関係の息子が合楽にどん修行に行ってと言う様な事がです。皆のそういう事に成って来る訳でしょうね。そしてお母さんが、ここで言われる「大祓信行」を始められるようになりましたら、色々と言うならば霊徳というですか、神様にお知らせを頂かれるようになった。
 昨日一昨日でしたでしょうか、親先生が奥に下がられたから、私が御神前に出て御祈念をさして頂いとりましたら、もうそれこそすがすがしいと言うか何と言うか、もう身が縮むような音がね御神前から響いて来るんだそうです。それで立ち上がって、親先生を呼びに行こうと思うけれども、立ち上がったら消えそうにあるから、じいっともう身の縮む思いで、それを丁度四十秒続きました。そういうそれこそ異様なまでの雰囲気が箱崎教会にみなぎって参りました。信者がおかげを頂くようになりました。今まで感じられなかった言うならば即決的な。
 今日は、富永先生もそう言う事を言っておりました。今日は即決的なおかげを頂けれる様になったと言う意味の事を。今日は箱崎のお母さんもそれを言っておられます。神様が、言うならば栄養失調になりかかってござった神様が生き生きとして見えたと。それは成程、金光様の御信心はどこにおってでも出来る。どこででもしようと思や出来る。いかにもそれは本当の事の様でありますけれども、本当ではないのであります。ですから本当な事というのは、本当なおかげが現われて来なければなりません。
 富永先生の所と言い、あるいは箱崎教会のことと言い、本当な神様の生きた働きが御広前一杯に充満して、そういう働きが異様なまでの雰囲気を作り、そういう中に信者が生き生きとして即決的なおかげが頂けれるようになったと。今日研修の時に、お話を致しましたことでしたけれども、先日泉尾の教会の二番目の息子さんが、常盤台という東京で布教しておられます。あちらから年に何回か出る雑誌が、出るたんびに送ってくる。こちらからも「おかげの泉」やら、「合楽だより」を送ります。
 私がいわゆる成り行きを大切にするということ。起きてくるすべてのことを合掌して受ける。これがお道の信心の基本姿勢だということを書いておられます。ですから第一お互いのこれ皆お道の信心者がです。例えば昨日宮崎から、二人の御信者さんから電話が掛かってきた。それは自分が以前頂いておった。改式もしてございますから、その「改式までしとって合楽にお参りをする」と言うて、先生がカンカンに怒られて、「もう霊様を取りに来い」と言うて電話が掛かった。
 だから今から取りに行くからよろしくお願いします。「取りに行かんでもいいじゃないの。そこを辞めんでいいじゃないの。ただ信心の稽古に合楽に通うて来ておることだけは事実だけれども、わざわざあなた御霊様ば、まあそげなこと言わずに霊様はここで拝んで下さい。信心をやめてしまうわけじゃありませんからと言うたらどうじゃろか」と言うて、申しましたことでした。そしてその理由が、その合楽がこちらの宮崎の信者を荒らして回るということであった。
 その張本人のように私が言われてるとこういうのです。一人の御信者は、こりゃ石川のお祖母ちゃんでしたけれども。とにかく宮崎中の信心をかき混ぜて歩くのが石川のお祖母ちゃん。それから、熊本の方ば混ぜてさるくとが、娘の戎浦さん。丁度そこの大祭に、熊本の大変あちらで偉い、坪井教会という教会があって、もう大学出のとても偉い先生だそうです。その先生が丁度お説教に見えておられて、「いやそれは宮崎だけじゃない。この頃はもう、熊本も荒らされて来よる」ち。
 まるで荒らされてんなんてんちから、その言葉がね。だか、今度教師会でこのことが話に出て、まあ皆でそれを話しよるから、まあ言うならば大変なことになってきよると言うようなことを電話で言われます。それで私が今日は研修の時にまあ申しましたことですけども、その常盤台の先生の、いわゆる合楽で言うところの、成り行きを大切にするということ。どういうことが起こってきても、それを御の字を付けて御事柄として受けて行くということ。それが信心のいわゆる基本にならなければならないのだ。
 ですからもしその、熊本の教会の先生方が集まられて、まあ「合楽は出張布教をする」ということが問題になっとると。妙なことが流行ってきたもんですね。合楽は出張布教をする。あちらこちらに出張所が出来る。成程支部が出来とるわけですね。そして共励会なんかにも参りますから、まあその、出張布教をするということがです。まあ出張布教が、なら、して悪いということはなかろうと思うんですけれども、まあそれが問題になっとるわけです。
 それで教師会の中にです。まあ三十人なら三十人の先生が集まられて、「もう合楽はけしからん」と言う話が出ても中に一人でもです。もし本当なことが分からして頂いて、「皆さんちょっと待って下さい。こりゃ合楽が悪いとじゃないですばい。私たちがいっちょう目覚めなければいけんとですばい。これは合楽の問題ではなくて、私たち自身の問題ですよ」と言う人が一人おったら、この問題はその場で解決するし。
 その気になられたらそこから又、新たな言うならば熊本の日奈久教会に現われておる様な、箱崎教会に現われておる様な生き生きとした、異常なまでの神様の生き生きとした働きが始まるだろうけれどもねと言う事でございました。だからこれはなら、宮崎の教師先生方に求めるだけの事ではない。もう合楽では常盤台が言われるように、言うならば何故成り行きを大事にしなければならないか、何故御の字を付けなければいけないか、そこの道理を何十年間言わば説き続けてきておるのでございますから。
 それが皆さんのまずは基本姿勢にならせて頂いて、問題はそのことで、即決で問題がなくなる程しのおかげを頂かなければいけないと言う事になるのです。最近いわゆる「願いの信心」と言う事が言われます。それは願わずにはおられないと言う信心であります。だからそういう願わずにはおられない。それは親神様だからだと。親だから子だからと言う所から、願わずにおれんという信心が段々育ってくるわけです。そういう一つの基本姿勢が出来て、そこからはどう言う事にならなければならないか。
 今朝のご理解に、私が御神前で頂きました、先程桜井先生も話しておられましたように、今日は陶工柿右衛門のお芝居の一場面を頂いてからのご理解でしたから、今日は研修の時に、二階から柿右衛門の十二代と十三代の焼物をここに持ってきてね、柿右衛門が苦心したというのはこの色である。この柿の色を出す為に大変苦心をした。同時に他にはない柿右衛門のその濁しでと言うね、白の色が丁度米の濁しのような色をした白、「白という色の深さや陶の秋」というご理解を頂いたことがありますがね。
 非常にその深い色、白の色に柿右衛門描くところの、柿の色がもう絶品だと言われとります。そういう一番初代の柿右衛門がです。柿のその、まあ私もあちらへ参りましたが、柿右衛門さんの大きな家の前に、もう二代目か三代目の柿の木が植えてあります。同じ場所に。もうそれはこんなに大きくなっていますがね。もう大きくなっているから、お縁から丁度こうやって眺めたら、こうやって見えるところに植えてあります。作った柿がそこに括り付けちゃある。だからあれを眺めさせて頂いてです。
 西日に当たる柿の色を眺めて、ああいう素晴らしい色がこの磁器の上に、茶碗に模様を描くその色が出せたらと言うて苦心をしたというのですけれども、今日私が頂くのは、そういう情景がこうやって眺めとる。高くしてちぎられん。はあ美味しかろあればちぎって食べたら美味しかろちゅうごたる顔をして、片岡仁左衛門演ずる所の柿右衛門が眺めておるところを頂きました。だから色を出す事に一生懸命苦心をした。
 もう薪がなくなって、もう一焼きと言う所で薪がなくなって、さあ「薪だ薪だ」と薪を探し回る場面があります。だからその薪を追求するんだと。今日研修の時に幹三郎がそこん所をですね。「柿の色を追求すると言う事は、合楽の色を追求する事だ」と言うふうに言ってました。柿は合楽の色なんです。だからお互いがねあの柿を食べたなら美味しかろうじゃなくてから、その柿の色を出すことに精進しなければならない。信心から生まれてくる所の本当の真の心であり、真の喜びであり。
 そういう喜びを求めての信心でなからなければならんのに、あの柿を食べたならという言うなら目先のおかげおかげの事に終始する様な事では、ならんと言った様なご理解でした。ですから私共の信心の焦点というものがです。なら皆さんがもう嫌という程聞いておられる成り行きを大事にすると言う事。どう言う事が起きてきても、それを合掌して受ける事。それが例えばどういう素晴らしい事であっても、それに調子に乗り過ぎんら様な受け方をして行くと言う事がです。信心の基本姿勢ですから、その基本姿勢が分かって、それが本当のものになる事の為に私共が信心修行さして貰わなければいけない。
 昨日は合楽会でございました。合楽会でも話した事でしたけれども、とにかく神様がね、私共の思うておる事行なうておる事に、もう感心しなさる程しの行いとか思う事と言う事は、もうそれこそ信心すりゃ必ず言う事であり聞く事であります。信心しておっても目に見える所ばかりを大切にする。目に見えない所を疎かにします。「影と日向の心を、持つなよ」と。と言う事は皆が聞いてきておる事であり知っておる事であり、まあそうしなければならない事は知っておるけれども、そうしないだけの事である。けども是では何時まで経っても本当の信心は育たない。
 先日から末永先生ところのお祖父さんの霊祭を仕える時に、まあ頂きました御理解でしたけれども、神様がね、言うならば感じなさる。丁度今度もそのお祖父さんの帰幽日でしたから、兄弟たちがここにこちらにおりますから、兄弟たち皆さしてもらいました。そしたら、私がこの神様の前に出て、お願いをさせて頂いておりましたら、御神眼にお芝居なんかで、まあ洒落た男の人、気障な男の人がね、素足でこう着流しの着物を着といて、そして何かの時にちょっとこう、端をまくってこう歩きだす。
 すると中には何も履いていませんから、ふんどしがちらちらと白く見える。真っ白い足に真っ白いふんどしはめておる。言わばあのう、これが異性の方が、それを見たら感じる。そのことを昨日田中さんが言っておられるんです。「あの御理解ば頂いてから帰らして頂きましたら、丁度その晩銭形平次がありよった。その銭形平次の中に、そういうのが出てきました。はっとこうやったら、白いふんどしがピシャッと出る。やっぱ先生感じますばいちゅうわけです。感じないというのが嘘だと。
 例えばもうこりゃこうやって、もう丸見えにこうした分、フンドシ一丁になっとるじゃは感じないですね。不思議なもんです。ちらっと見えるところが感じるとです。そりゃそうですよ。昔は真っ赤な言文字を書きました。言文字いっちょうになっとるけんちから感じんばってん、ちらちらと覗く所がね、やはり感じる所なんです。そういうお知らせを頂いてですたい。言うならば、神様が私達のどこに感じなさるかというと、その思うておる事に、また行なうておる事に感じなさるのです。
 私はそれをどう言う事で頂いたかと思うたら、終わったここでその事を御理解に聞いてもらったら、末永先生が徐にここから状袋を出しますもん。そして「先生実は六年前にこのお祖父さんの式年祭を仕えさせて頂いた時に、超特級の御神酒を六本こちらからお借りしてお供えしておりました。だからその時分のお金で九千円でした。だからこの九千円は、六年前の言うなら借金払いです」まあ言うなら親と子の中だから、もうそげん原義同段にしなくても、また誰も忘れてしもておる事だから、けれどもなら末永先生の心はそれでは許さない。
 やはり六年経った、今日それをここでまあお供えさせて頂いた時にです。はあ今日私が頂いたのはこれだったなと思ったんです。言うならば、末永先生のそういう心掛けに、神様が感じなさるのです。それこそ改めて、末永先生をまた惚れ直しなさったと言う感じが致しました。そこに感じ感じられる。そこから本当に交流ということになり、生み出されると言う事になり、合楽するところのおかげが生まれてくるのです。
 だから基本姿勢を知っております。成り行きを大事にするというだけでなくてです。それをいよいよ本当のものにして行く為にです。いよいよ私共が、神様に感じられるような私達にならなければいけない。目に見えるところよりも目に見えないところ。知ったところよりも知らないところをです。大事にするような心掛けになる。そこに神様が感じなさる。私共がいかに神様を感じると言うてもです。
 例えば箱崎、または富永先生とこのお話をしたがです。言うならばね、双方から合楽と言うなら日奈久教会、合楽と箱崎教会の中にです。初めの間はそうではなかったけれども、お話を頂くたんびんに、お参りをするたんびんに、いよいよ合楽理念を以て、自分の教会の布教方針というものが定まって、いわゆる合楽流のおかげが受けられるようになったということは言うならば、私と富永先生との中に、感じ感じられるものが起こってきたからだと言うふうに思うのです。
 そこから交流するものから、生みなされておるのが、今の言うなら富永先生ところの御比礼である。また箱崎にまた今までとは変わった異様なまでもと言われる、その異様な雰囲気が、勿論有難い異様な雰囲気が生まれてきておるというのはそういうこと。だから皆さんどうでも一つ基本姿勢というものをまず正さなければならない。知っとるというだけではなくて、それを愈々行の上に表して行かなければならない。
 それを愈々本当なものにしていくということの為にです。言うならば私が心の中に感じておる汚いものをです。それこそ目に見える所より目に見えないこと。人が知っておることよりも人が知らない所をです。大切にして行くと言う所に、神様が感じなさる。私共が感じる。感じ感じられる所から、良いものが生まれてくると言う事でございます。そういう信心が段々生まれて参りましてです。段々いわゆるすがらずにおられない。言うならばお参りはせずにはおられない。
 それこそ通い合うそのお互いの引き付け合う引力のようなものが、家にじっとしてはおられんという、三代吉さんじゃないですけれども、もう分かる所まで分かった。「落ちる木乃実は十八願の内と思えば危なげはない」落ちる先がよし地獄の底であろうが、そこも弥陀如来様の懐の中であるという最高の理念が分かったと言うてもです。分かったからもう参らんで良いというものではない。親様のことを思うたら、参らずにはおられないという信心をいっちょ目指して、おかげを頂きたいと思いますですね。
   どうぞ。